2012年8月21日火曜日

驚いた!木曽節が全国的に広まった理由


 郡上徹夜踊り(8月13~16日)も終わり、もう今年の郡上踊りは終わりかな、と思いつつ、郡上へ出かけてみました。すると、まだまだ今年の郡上踊りは週末に行なわれている、ということで、9月8日まで行なわれるそうです。

(今年だけじゃなくて例年7月下旬から9月上旬まで夜8時から10時半まで行なわれているとのことです)。

 この郡上踊りは西馬音内盆踊り(秋田). 阿波踊り(徳島)と並び、日本三大盆踊りだそうです。なんと関が原の合戦(1600年)以前の1500年代半ばから踊られており、400年を超える歴史ある盆踊りというわけですから、郡上の皆さんの気合の入りっぷりも、観光客の皆さんの踊りも熱がこもっています。

 同じ岐阜県内といいながらも、わが多治見から郡上八幡までは約70キロもありまして、正直遠いのですが、多治見での盆踊りでも「グジョウノナーア、ハチーマーン♪」と郡上踊りは定番の踊りです。そして、多治見の盆踊りでも必ずかかるもう1曲があります。

 それが「キソノナァ~ 中乗サーン♪」で有名な「木曽節」です。





 郡上おどりが400年、というわけですから、木曽節も郡上おどりと同じくらい伝統的な踊りなのかな?と調べてみたところ、驚きました。

 木曽節自体は、鎌倉時代の武者踊りが発祥らしいのですが、実は大正時代まで、ほとんど無名だったとのこと。

 この「木曽節」と「木曽踊り」が有名になったのは、大正から昭和の戦前に福島町(のち木曽福島町を経て現・木曽町)の町長を務めた伊東淳(いとう・すなお、1876年-1942年)氏が木曽の観光宣伝のために尽力されたからだそうです。

 伊東氏は観光客誘致・地元振興の手段として木曽節に着目し、「なかのりさん節」を元歌に,現在の「木曾節」やその踊りを作った!というのです。

 そして、自ら歌い、踊りも指導して、木曽節と木曽踊りを広く紹介。「木曽のなかのりさん」(1917年)という冊子を発行、政治家や有名人に「木曽節免許状」を発行したり、東京や名古屋で木曽踊り発表会を開いたり、レコード発売、NHKラジオ放送中継に奔走、1925年には地元酒蔵・中善酒造店に薦めて酒の銘柄を『中乗さん』と改めさせるなど木曽節の普及と観光のため、あらゆるPRに努めたといいます。

つまり、木曽節は、今で言う「まちおこし」だったわけです。

 伊東さんが亡くなった後も、ザ・ピーナッツ、舟木一夫、森昌子、橋幸夫さんなど有名歌手が木曽節を歌い、レコードが発売され、テレビでも放映されています。その結果、今では全国にこの「木曽節」「木曽踊り」が広まっているということです。

 伊東氏の木曽節普及活動から学べる教訓は3つあります。

(1)無料で踊れる盆踊りにしても、ひとりでに、勝手に、口コミで広がったりするものではなく、伊東さんをはじめ先人のPR努力があったからこそ。

(2)「免許状」、小冊子、レコード、ラジオ、というツールを活用して広めていったこと。いまならさしずめ、小冊子、免許状、YouTube、テレビ、ブログといったところでしょうか。

(3)伊東さんはPRのためのアイディアを次々と実施していくだけでなく、木曽踊り保存会や木曽観光協会をつくり、若い後継者を育てて、後世にも木曽節が広まっていくような組織づくりも行なっていたからこそ、戦後70年近い現在でも木曽節、木曽踊りが全国に広まっていること。

たった1人の情熱から、木曽節は、今も愛される盆踊りとして広まっている、ということですね。

(参考)

http://www.dynax.co.jp/sinsen/shinano/minyoo/kisobushi.html

http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato044.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E7%AF%80

http://www.kankou-kiso.com/event/kisobushi.html



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