今回から不定期ですが、東日本大震災復興協力支援の一環として、被災地でがんばっている方々の声をお知らせしてまいります。
NPO多治見NOWとして「もはや行政だけに頼っていては申し訳ない」「自分たちでできる支援を続けてゆきたい」という思いがあります。
テレビや新聞を通じて被災地の状況は伝えられていますが、マスコミの方々も現地へ入り込んで、ボランティアの方々と一緒になって取材活動をしているわけではありません。放射能を怖れて多くが電話取材やメール取材だけであり、現地で過ごす方々の声が正しく拾えているかどうかは大変疑問があります。
テレビで「あそこの避難所に何かを送ろう!」としても、全国からそうした物資が一気に届く場合もあるでしょうが、紹介されない避難所には何も届かない。行政も物資が倉庫にあるのに「公平に配布」という原則のもと、物資の分配もできない、配布もボランティアの手が足りなくてできないのが現状だそうです。
とはいえ、岐阜県東濃地方だからこそできる支援活動をするためには、こちらから勝手に物資を送りつけてもそれは被災地の皆さんにご迷惑になるだけです。
そこで、被災地で活動しておられる方の声をご紹介し、彼らが本当に必要な生活物資や資金を直接届ける活動を「継続的に」「計画的に」行なうにはどうすべきか。考えながら実施したいと思います。
今回ご紹介するのは青森県三沢市の材木商、高橋さんです。高橋さんは材木業を営むと共に青森県宅建協会三沢支部で監事も務めておられる地域からも信頼の厚い方です。高橋さんとは2月に東京で開催された経営コンサルタント神田昌典さんのセミナーで再会したばかりで、4月に三沢でYouTubeの講座をしよう、と計画していたところでした。
この震災で講座は延期になりましたが、互いにfacebookで安否を確認しあい、彼が災害ボランティア活動を行なっていることを知りました。
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彼が住む三沢市は人口4万1千人の青森県東部にある市。在日米軍三沢基地が所在し、そこに所属の軍人・軍属とその家族で約1万人も住んでいます。詩人の寺山修司の故郷で、彼の記念館があるのどかな都市です。
三沢市では今回の震災で2名の方が亡くなり、家屋被害(52棟)あったそうです。岩手、宮城、福島に比べれば比較的被害が少なかった、ということもあり、三沢市から岩手県、宮城県に災害ボランティアとして復旧活動のお手伝いに何人もの方が参加されています。
高橋さんが災害ボランティアとして、実際に訪問された避難所や被災地の現状をこのブログでご紹介しながら、東濃に住む私達ができることを、手助けできることを一緒に考えてゆきたいと思います。
写真は3月20日、三沢市の沿岸部です。米軍三沢基地からの協力もあり、現在はかなりのスピードで復興が進んでいるとのこと。
高橋さん「被害の少なかった三沢でこんなに大変なんだもの、岩手や宮城は、いったいどんな状態なのか...と思った。職人会のみんなで「今度は岩手に行こう!」と盛り上がりました。」
高橋さん「津波被害のゴミの山。みんなで撤去作業中。」
こうした作業を皆さんそれぞれの地域で行なっているんですね。それはもう気の遠くなるような作業です。東濃地方からこうしてブログを書いていることに自己嫌悪に陥りそうになります。
毎日同じ時間に自動車や電車に乗って会社に行き、同じ喫茶店でコーヒーを飲み、同じ時間にメシを食って同じ時間に風呂に入る。そんなあたりまえの日常が、じつは複雑な奇蹟で成り立っているってことに、できなくなってようやく気づく。
東濃で暮らす我々が今できることは何か、一緒に考えていければと思います。
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