しかし、これらの産業は「失われた20年」とでもいうように他の輸出産業同様激しい国際競争と商品ライフサイクルが成熟化し、これまでのような運営は難しくなってきた。
こうした中で、多治見市はこれまでのハード的な産業育成から、「観光」「芸術」といったソフト的な側面に着目し始めています。多治見市内には既に数千人の「陶芸家」が居て、百草や幸兵衛窯のような素敵な工房&ギャラリーもある。こうした陶芸に惹かれて他の都市から多治見へ移り住んでこられる長谷川さんのような方もみえる。
美濃焼の持つ文化・芸術的な側面に焦点を当てて、これまでの「産業としての陶芸」から「ソフトパワーとしての陶芸」を活用していこう、という考えがあるのかもしれない。
とはいえ、一芸術ファンとしては、多治見には優れた陶芸家の方がいる、多いということは、とても嬉しいこと。こうした機会はほとんどなかったので、楽しみにしてやってまいりました。
まずは開会前に、古川市長から挨拶がありました。
左から加藤幸兵衛、安藤雅信、若尾誠、長谷川潤子、草野満代の各氏。
加藤氏が他市から渡ってきた新しい陶芸家の方々の影響を「刺激的」と持ち上げつつ、「頭で考えているだけ」「根無し草で本質を理解していない」とばっさり。儀礼や古き習慣といった伝統を軽視しがちな風潮を批判する。これに対して、安藤氏、長谷川氏が反論するという流れも生じて、トークショウは盛り上がった。
対立が明確化したことで、トークの雰囲気が不穏なものになるように思われたが、そうではなかった。
市内に育った安藤氏。だが、陶芸の世界に入ったのは35歳と遅い。むしろ、伝統的な陶芸家の一族として育った加藤氏が持っている「伝統」「環境」といった陶芸家として大切な本質についても学びたい、ぜひ教えてもらいたい、という申し出があったのである。
自分が持っていないもの、世代を越えて大切にすべき伝統を学びたいので教えて欲しい、という安藤氏の申し出に加藤氏も破顔一笑。
伝統を伝統だけに孤立してゆく道を選ぶのではなく、地元の若手のみでなく他から移り住んできた新しい方々も受け入れて広げていこうという加藤氏の懐の広い姿勢だけでなく、常に学び続けてゆきより優れた作品に反映していこうとする安藤氏をはじめとする「若手?(出席者は40-50代)陶芸家」の方々の姿勢がみえて面白いひとときでした。
残念だった点が3つある。
1、告知が不十分。
加藤氏、安藤氏という全国レベルの「ビッグネーム」がパネラーだったにもかかわらず、聴衆の大半は待合風のご老人が大半。本来、この2人だけの対談で数百人、1000人以上は集客できたはずだ。全国の陶芸ファンの方々へ「多治見発」という情報発信が出来た場であったにもかかわらず、地元の業界関係すらも集められないイベントとなったのは本当に勿体無い。
主催者の意識不足、準備不足は猛反省してほしい。
2、作品が並んでいない。
陶芸家の仕事は、なにより作品である。トークイベントとはいえ、誘導路にパネラーの方々の作品を並べることはできなかったのだろうか。話している方の顔をみて、作品を見比べて、と、もっと感覚的に聞き手が理解できる演出があればよかったのに残念だ。
3、20代、30代の「真の若手」不在
業界の活性化には、業界に新しい感性と新風を吹き込んでくれる新人アーティストが欠かせない。ロックが最も輝いていた70年代はビートルズ、ボブディラン、ローリング・ストーンズが主流だった60年代のアーティストに加えて、ジミ・ヘン、ジャニス、サンタナ、レッド・ツェッペリンなど当時の新人アーティスト達(そして、彼らはビッグネームへと育っていく)の活発な活動もあり、業界が一気に成長してきた。
また、構造的な不況、若者失業問題が政治問題化した70年代終盤のイギリスでは、セックス・ピストルズやクラッシュ、ジャムなどのパンク・ロックが業界を活性化させ、結果的に業界を成長させた。
セックスピストルズをみて「あいつらはアーティストじゃない。一緒にしてくれるな」という演奏家もいたが、クラプトンやポールマッカートニー、ミックジャガーらは「昔の自分達を見るようだ」と懐の深いところをみせて、自分のライブの前座に誘ったという。
陶芸が「国民芸術」であり自称陶芸家、という方々がどんどん参入し始めて業界が広がりつつあり、加藤氏や安藤氏が懐の深いところをみせているのに、こうしたイベントの主催者側が「上から目線で」若手陶芸家を無視するのはどうなのだろうか。
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